諏訪の里ブログ
もっと もっと知ろう 諏訪区のこと <2>
2021年01月15日
令和2年12月17日開催された「令和2年度 諏訪公民館ふるさと講座(第2回)」の内容を2回に分けて紹介します。
今回は、第2回です。
この講座は「諏訪地区 あんなとこ こんなとこ」作成紹介講座として開催されました。
6.その名ゆかしき諏訪の森
<屋敷林>
諏訪地区の集落は、周囲に林群を有していた。
屋敷林という。
季節風への備え、屋敷内の積雪の軽減を目的としているものが多い。
用途だけでなく、ある種の風格を持つステータスシンボルでもあった。
屋敷林は連続して、集落林の景観を示した。
近年、家屋への願い、環境の変化によって屋敷林は減少している。
<諏訪という名称>
大小区制の実施
明治時代に入り廃藩置県が行われる。
1873(明治6)年に柏崎県、1876年に相川県が廃され新潟県に合併した。
新潟県は全県を28大区、246小区とし、それぞれに大区長、小区長が置かれた。
小区は組に分かれ、組には戸長が置かれた。
諏訪地区・北諏訪地区は、関川以東、保倉川以南を範囲とする第8大区、小9区に属した。
頚城三郡の成立
1878(明治11)年7月22日、郡区町村編成法が発令され、翌年4月に施工された。
この法律の施行で、それまでの「大小区」が廃されて、頚城郡が東、中、西の三郡に分かれた。
中頸城郡役所は高田下小町の加賀屋に置かれた。
郡が三つに分かれたのを機会に、同一郡内に同じ名の村を無くし、混乱しないようにするため、1885(明治18)年に同一郡内に同一の村名を持つ村には、村名の上に東西南北、上下などの文字を付けて区別することになった。
諏訪地区に関わる村名では、田中村は「北田中」に、堀之内村は「下堀之内」となった。
連合戸長役場
1884(明治17)年5月7日、政府は戸長制度の改革を行った。
この改革では、戸長を知事の任命による官選に切り替え、平均5町村500戸に戸長1名を置く制度に変更した。
これにより、戸長役場も連合戸長に再編されるものがあった。
この改革で、政府の国策に忠実な行政官を戸長に任命することが可能になった。
連合戸長役場、郡と村の中間行政機関の役割を担った。
即ち、いくつかの村々の連合をつくり、そこに官選の戸長を置き村々の戸長の意見を聞いて、その処置を講ずることになったのである。
8月28日の布達には次のように記されている。
戸長役場ノ儀ハ、ナルベク寺院又ハ学校等便宜ノ箇所ニ開設スベシト雖モ、若シ民家ヲ借上ゲ仮設スルトキハ、其区画ヲ厳ニシ、入口等ハ民家ト混同セザルヲ要ス
この改革で生まれた諏訪地区関係の「連合戸長役場」は次の通りであった。
((中頸城郡上真砂村外15ケ村連合戸長役場))
鶴町村・東原村・荻野村・下堀之内村・高森村・南新保村・北新保村・上真砂村・杉野袋村・
飯塚村・上千原村・川端村・東中島村・下真砂村・福橋村・中真砂村
((中頸城郡川浦村外19ケ村連合戸長役場))
米岡村・北田中村・重川新田村・
川浦村・野村・下中村・角川古新田・角川村・新屋敷村・四辻村・田村・中野村・
横山新田・水科村・窪村・法花寺村・稲原村・宮崎新田・鴨井村・水吉村
諏訪村の誕生・「大字」地名
1887(明治20)年に入り、政府は戸数・地価その他様々な調査を行った。
また県は町村や郡長の意見を聴取、諮問したうえで原案をまとめ、1889(明治22)年2月28日に内務大臣の認可を受け、3月6日に県令を布告、1889(明治22)年4月1日に市制・町村制が施行された。
この市制・町村制の施行で、新潟県全県で3,777町村の市町村が、1市(新潟市)、46町、769村の合計816となった。
減少率は81.2%で全国第3位だっや。
なかでも中頸城郡は、90.9%と県内第1位の減少率だった。
合併によってできた新しい町村名には「昔の郷の名称」または「良い名」を付けるようにという指示があった。
津有村・高士村・新道村などは昔の郷名を留めた名称である。
その他、”親睦融和への願い”(大和村他)、”神社の社号”(斐太村他)、”住民の希望”(高志村他)等によって命名された。
新しい町村ができたことでそれまでの村(邑)は、「村」という言葉をを取り除き「大字(おおあざ)」と呼ぶことになった。
このことで「上真砂村」は、「大字上真砂」、「杉野袋村」は、「大字杉野袋」等と呼称するようになった。
町村制の施行によって、今も使われている地区名の多くが”町村名”として命名された。
この地域の20村1字は、村社諏訪社の称号をとって「諏訪村」として発足した。
「諏訪村」地名の誕生である。
村名の命名に当たり協議を重ねた結果、それまでの各村々の多くが「諏訪社」であったことから、村名を「諏訪村」にしたと言われている。
諏訪村成立から、2020年4月で満131年となる。
諏訪村役場は上真砂におかれ、初代の村長に米岡の野俣佐平治が就任した。
しかしながら、役場庁舎の建設は数年後を待つことになる。
この間、上真砂の勝名寺を借り上げ庁舎として執務を行っている。
諏訪村役場庁舎が現在の諏訪地区公民館の位置に建設され、開庁式が行われたのは1896(明治29)年11月10日である。
分村合併、そして閉村
1953年(昭和28年)に町村合併促進法が施行され、新制中学校1校を管理するのに必要な規模としておおむね8,000人以上の住民を有することが標準とされた。
この法律の施行に伴い、直江津町はまず、関川右岸の有田村、八千浦村、保倉村、諏訪村の4か村に対して併合交渉を行った。
有田村、八千浦村、保倉村については問題なくまとまったが、諏訪村南部(諏訪地区)は高田市への合併を希望し、ついには分村して北部(北諏訪地区)8大字のみが直江津市と合併した。
この合併により、直江津町は、1954(昭和29)年6月1日より市制を施行、「直江津市」となった。
高田市との合併を望んだ諏訪村南部(諏訪地区)は、分村から8カ月後の翌1955年2月1日に高田市に編入合併した。
合併時人口は、1,646人だった。
この2月1日には、三郷村、和田村の一部、津有村、春日村も高田市と合併した。諏訪村と高田市との合併を祝って、上真砂地内の「勝名寺~郵便局」間の県道で旗行列が行われた。
こうして、1889(明治22)年から66年間続いた諏訪村は、閉村した。
高田市編入後の1962(昭和37)年8月15日には、大字荻野と下堀之内は合併し、大字諏訪と改称した。
その後、2006(平成18)年に、重川新田(下坪)が、「米町町内会」として独立して諏訪地区に所属することになった。
7.伝説堅し報國の
建碑当時の諏訪村村長寺田憲三は、「想い出の写真帳追録」(諏訪遺族会 昭和二十六年編纂)の中に「忠魂碑建設当時の追憶」を寄稿している。
ここではその記載を紹介する。
建碑の開始
各種団体長、村会議員、大字区長等が相談の結果、忠魂碑を建設することに決めたのは、昭和14年1月30日。
最初32名の準備委員が挙げられたが、位置決定については8名の敷地委員が、工事の進行については13名の建碑委員が夫々選出された。
位置の決定
初め役場の東方に建設予定候補地が物色されたが、敵地でないという世論に基いて、現位置に変更された。
工事請負
工事の請負人は、和田村栗原の古川甚之十氏。
石材購入の外基礎工事、文字の彫刻、石材の運搬、組石、植込、庭師入れ等迄一切を含めて金1,850円の請負契約だった。(昭和15年10月8日の契約)
石材
碑石(仙台石)13尺2寸、3尺8寸、8寸
台石(自然石)7尺、5尺、2尺
揮毫
揮毫は、荒木貞夫陸軍大将を煩わすことになり、十月二十五日、私(寺田憲三)が上京して快諾を得たが、これについて、芝生英夫少佐(荒木夫陸軍大将の娘婿)、寺田清定、澤海芳雄の諸君が、その促進に格別心配してくれた。
敷地
敷地は、大字米岡字鳥越の畑一六一九番ノ二、一六二一番ノ二一、六ニニ番ノ子ノの三筆二四二坪で、地主の寺田泉治、佐藤政治の御領君が率先買収に応じてくれた。
建碑工事の開始
12月13日には、地鎮祭執行、よく昭和16年1月8日に、建碑建設の認可書着、3月27日には大将から揮毫が到着した。
除幕式
7月17日午後2時から、花火合図に、忠魂碑除幕式が行われた。
慰霊祭
除幕式後、10分間休憩して、引き続き「村内戦没者慰霊祭」が仏式により営まれた。
経費
経費は、4,121円86銭と予算の3,500円より約620余円と超過した。
8.進取の精神溌溂と
手作りで開設した諏訪放送局
1957(昭和32)年12月8日、和田農業協同組合が高田市で最初の有線放送電話和田放送局の開局式を行った。
その半年後の1958(昭和33)年5月11日、「諏訪有線放送局」の開局式が行われた。
諏訪放送局は、諏訪公民館で計画し高田市から20万円の補助金を受け、残りの38万4千円を247戸の農家が負担して設置された。
高田市諏訪出張所職員の支援を受けて、諏訪公民館の主事星野清一(鶴町)が中心になって設計や技術を受け持った。
柱立てや外線工事は、一カ月をかけて地区の人が総出で行った。
地区民手作りでの有線放送局の設置は新機軸をつくったものと評価された。
ホームページ「くびき野諏訪」が開設
2014年(平成26)年12月5日に、ホームページ「くびき野諏訪」が開設された。
翌年、2015年1月には新聞にも紹介され、「諏訪地区新年会」の際には市長からも高く評価された。
旧上越市の各地区の中では、最初の地区ホームページの開設であり、一層の充実が期待される。
i以上、諏訪地区公民館ふるさと講座(第2回)の内容を紹介させていただきました。
当ホームページ「里づくりだより」コーナーで紹介させていただいています、「希望燃ゆ 諏訪の里」も、ぜひご覧ください。