寺院

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髙照山 圓性寺(えんしょうじ)

● 所在地  上越市大字鶴町350-1 [GoogleMap]
● 宗派   真宗大谷派

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開基は天明2年(1782年)、初代住職は圓空と言います。 
安永9年(1780年)に当時の頸城郡津有郷鶴町村を中心とする同行の方々が願われて開かれました。

本堂は慶応3年(1863年)に焼失し、明治7年(1875年)に仮本堂が建てられ現在に至ります。
寺宝の「蓮如上人絵像」は、天明2年の開基の際、初代圓空が願主となり当時の御同朋の方々と共に本山より求めたものです。
また、本堂の仏具(香炉、燭台など)に現在他のお寺ではあまり見られなくなった戦時中の軍からの代用仏具が使われております。
『上越市史資料編別編4・寺社資料二』(216頁)には、「本堂は、(真宗寺院の昔の姿である)道場形式を残す寺院と紹介されています。

行事は毎年正月の修正会、10月末土・日の報恩講を主に務めさせて頂いております。

今、この諏訪地区の私たちにまで届けられた命、仏法、お念仏の護持と伝道に努めつつ、どなたも気軽にお参り頂けるお寺を心がけております。お寺は決して住職一族の家業ではなく皆様のご先祖様が願われて建立されたことが御絵像(掛け軸)の裏書などから知らされます。

命が軽んじられる現在こそ仏教寺院・お念仏のお寺の役目とするところがあるのでは、と思います。寺院からも、今、生きるとは、ということを発信していきますので、皆様も「なんか生き苦しいなぁ」「なんか疲れたなぁ」とか思われましたらお気軽にお参り頂ければ、と考えております。

南無阿弥陀仏

髙龍山 勝名寺(しょうみょうじ)

mon_02● 所在地  上越市大字上真砂61番地 [GoogleMap]
● 宗派   真宗大谷派

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寶徳2年(西暦1450年)、旧信濃国佐久郡横曽根村において、釋円澄によって開山されました。当初「稱名寺(しょうみょうじ)」という寺号でしたが、1620年頃に「勝名寺」と改名しました。この寺号は上杉景勝の勝に由来するといわれています。
永禄4年(1561年)に川中島合戦の兵火により草庵は焼失、永禄7年(1564年)に現在の妙高市長沢に移転しますが、慶長3年(1598年)に失火して再び全焼し、その翌年(1599年)に現在の上真砂へ移籍しました。

現在の本堂(十間四面)は、宝暦2年(1753年)に建立、文政12年(1829年)に改築、平成25年(2013年)に改修されたものです。
鐘楼門は文化9年(1812年)に建立されました。境内には、南北朝時代(1336~1392年)に戦死者を祀った供養塔である「板碑」があります。

法雲山 等覚寺(とうがくじ)

mon_03● 所在地  上越市大字諏訪17番地 [GoogleMap]
● 宗派   真宗大谷派

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開基は釈存栄という方で、先祖は俗称春日山上杉謙信の幕下渡部久蔵であることが「本覚坊資料」に示されています。
1607(慶長12)年、石山の合戦に召され、その後も顕如上人、教如上人にお仕えしていた存栄が帰坊するに当たり、「教如上人より蓮師御真影一幅、寺号等覚寺とご染筆下された」という記録が残されています。寺宝の一つ、江戸時代前期といわれる蓮如上人真影裏書にも「蓮如上人真影 越後国頸城郡津有郷 野田村等覚寺 願主釈存栄」とあります。

寺中寺院 覚善寺

寺中寺院 覚善寺

等覚寺は、下野田(本覚坊の分寺と思われる)、中屋敷を経て荻野村普済寺仙翁和尚の遺言により、1615(元和1)年頃に同寺裏の田畑、客殿を譲り受けています。このことからも等覚寺は、400年以上の歴史を刻んできた寺院であることが分かります。
明治時代の火災で本堂を焼失しましたが、檀家の保坂潤治氏の仏間の寄進を受けて再興されました。現在の本堂は、寺中寺院の覚善寺、等覚寺代務者の尽力によって改築されたものです。

門信徒は、旧東頸城郡、旧中頸城郡の広範囲に点在し、近世中期に一村一ケ寺が整う以前の姿が残されているように思われます。
等覚寺、寺中寺院の覚善寺は、先祖からの門信徒の心のやすらぎの地です。いつでもお立ち寄りください。

徳成山 本覚寺(ほんがくじ)

mon_04● 所在地  上越市大字米岡476番地 [GoogleMap]
● 宗派   真宗大谷派
● 17世住職 釋 智学

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本堂は、宝暦8年(1758年)5月に建立されました。近年では、昭和38年(1963年)に屋根葺き替え、須弥壇の設置がおこなわれました。柱に旧態をとどめる臍穴が残されています。平成3年(1991年)には、基礎の改修工事が行われ、今日に至っています。この間、教化の中心道場としての役割を果たしてきたほか、集落の集会場としての役割も果たしてきました。現在、17世住職が務めています。

江戸時代に製作された木造阿弥陀如来立像のほか、親鸞聖人真影、蓮如聖人真影などを寺宝としています。また、青銅製の喚鐘には次のような刻銘があります。

享和二年 戌三月   ※享和2年=1802年
高田鍋屋町
佐藤五左衛門
越後国頸城郡
津有郷米岡村
願主 本覚寺
施主 野俣佐次右衛門

門信徒の皆さんに大変お世話になっています。
合掌

法隆山 明岸寺(みょうがんじ)

● 所在地  上越市南新保883-1 [GoogleMap]
● 宗派   真宗大谷派Botan-092

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当寺は、大正9(1920)年に本堂・庫裏が焼失しています。幸い御本尊や親鸞聖人真影など寺宝類は持ち出すことができたということです。寺宝類は、裏書から江戸時代に下付されたもののようです。その後、現在の本堂が再建されました。

「報恩講」は11月に行われます。本堂に垂れ幕を張るのですが、その幕に「文久二年壬戌 寄附 三ヶ村廿二日女講中」とあります。この時代には「女人講」という女性の御同行によるお講が開かれていたことが分かります。幕末のころのことですから、幕は古くなり傷みもひどいのですが、現在も使用しています。本堂の中央に置かれた「南北新保青年会」と刻まれた大きな火鉢には、炭火が赤く燃えています。夜の講座が終わると、その炭火で焼いたおにぎりが振る舞われます。ノスタルジックな雰囲気のある報恩講となっています。