はじめに
はじめに
【参考】
・ 『外交60年』(昭和33年10月刊)
・ 『芳澤謙吉自伝』(昭和39年5月刊)
・ 『芳澤謙吉 波乱の生涯』(平成13年3月刊)
雄志中学校区から時代に羽ばたいた3人の偉人
芳澤謙吉翁 : 明治7(1874)年1月24日生
前島密 : 天保6(1835)年1月7日生
川上善兵衛 : 慶応4(1868)年3月10日生
明治4年には密は、既に欧米視察を終え、駅逓権正に就任、郵便制度の創設に取り組んでいた時代。善兵衛とは同時代を生きた。
日露戦争、ロシア革命、第1次大戦、満州事変と連盟での対応、第2次大戦開戦準備のための外交交渉、戦後の対中華民国関係の確立など近代日本の外交を支えた一人といえる。
謙吉翁が活躍した時代
芳澤謙吉・・・略歴
- 明治7(1874)年、新潟県頸城郡下堀之内村(現在の上越市大字諏訪)生まれ。
- 明治33(1900)年、東京帝国大学英文科を卒業。領事官補に任官
同38年、犬養毅の長女操と結婚。ロンドン領事館、政務局、英国大使館等勤務 - 大正8年、外務省に入省。外務省政務局長、亜細亜局長、欧米局長等を歴任。
- 大正12(1923)年、中国特命全権公使。大正14(1925)年1月に「日ソ基本条約」を締結。
- 昭和5(1930)年、駐仏特命全権大使(兼国際連盟常任代表)
- 昭和7(1932)年、犬養内閣の外務大臣、後に貴族院議員
- 太平洋戦争開戦直前の昭和15年に蘭印経済交渉(特命全権)
- 昭和16(1941)年に仏印特派大使
- 昭和20年に枢密顧問官に親任される。
- 戦後、公職追放(昭和21~26年)
- 昭和27(1952)年、初代の中華民国大使。昭和31(1956)年退官
- 昭和40(1965)年に死去。享年91歳
芳澤謙吉・・・業績概要
- 日ソ基本条約を締結し日ソ国交の回復、
- 最後の満州国王 宣統帝の庇護
- 満州事変勃発時、国際連盟での粘り強い交渉
- 犬養内閣の外務大臣、貴族院勅撰議員
- 太平洋戦争開戦を控えての蘭印経済交渉(不調に終わる)、仏印交渉
- 初代の中華民国大使で台湾との友好関係 等々・・・
明治、大正、昭和と近代から現代まで、60余年にわたり激動の時代に深くかかわってきた、我国きっての亜細亜通外交官。
現在の銅像(左)と除幕式(1959年9月6日/85歳)での謙吉翁