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諏訪の里ブログ

偉人給食に 芳澤謙吉翁にかかわる献立が・・・

令和7年3月4日(火) 諏訪小学校で偉人給食

上越市は、学校給食で上越市出身の偉人をイメージした献立で給食を提供しています。
令和7年3月4日(火)の「偉人給食」では、諏訪区出身で外交官・外務大臣をつとめた芳澤謙吉翁にかかわる献立の給食でした。
この日の献立のメニューは、「ルーローハン」「メンマサラダ」「シェントウジャン」「ごはん」「牛乳」でした。


ルーローハン は、台湾語ではロオバァプンというそうです。「滷肉飯」と書きます。 「滷」(ルー)は、煮込むという意味ですので、「滷肉飯」で煮込み肉のご飯となります。 台湾では有名な料理です。

メンマサラダ は、 中国語でスンクワン シャラといい、「筍干沙拉」と書きます。中国語では、「メンマ」といわないで、筍干(スンクワン)といって中国産の麻竹(マチク)から作られている発酵食品です。
※「麺」の上に乗せる「麻竹」ということで、メンマと命名したそうです。
  サラダ 沙拉 Shālā は、18世紀ころに中国に伝わって来たものです。

シェントウジャン は 鹹豆漿と書きます。豆漿(ドウジャン)は、中国語圏の特殊なのことで、甘い、塩酸っぱい、黒い の3種類があり、中華圏全体に広く分布しています。今日は、「鹹 Xián」ですので「しょっぱい,塩辛い」豆乳となります。
では、芳澤謙吉翁と「台湾名物、台湾で人気のある料理の献立」どんなかかわりがあるのでしょうか。

 

かかわりの訳は、三つあります。
●芳澤謙吉は、太平洋戦争後、外交官としての最後の勤めとして 台湾にあった中華民国の初代大使として、78歳から82歳までの3年6カ月を台北市で過ごしています。
台北市では、今日の献立のような料理を、時々は食べて楽しんでおられたのではないでしょうか。

●芳澤謙吉は、アモイ、上海、北京、牛荘、ロンドン、漢口(現在の武漢)、北京、パリ、バタビア(現在のジャカルタ)、ハノイ、台北 と外国勤務約30年のうち、20年ほどを中国で過ごしています。
今日の献立のルーツをさかのぼると、「ルーローハン」「メンマサラダ」「シェントウジャン」のどの料理も、似たものが中国の各地でも見られ、謙吉翁が赴任した各地の思い出の食べ物も多かったのではないでしょうか。

●中華民国大使として、78歳で台北市に勤務した時、芳澤謙吉が付き合った人の多くは、かつて中国大陸の各地で勤務した時の友人、知り合いでした。芳澤謙吉が、大使となった台湾の中華民国政府は、大陸での中華人民共和国との争いに敗れて台湾にやって来た政府でした。中華民国政府が移ってきたときに、たくさんの中国本土の人たちも台湾に移り住んでいます。この人たちが、大陸から持ってきた料理と、もともと台湾にあった料理が混ざり合って、今日の献立のような、おいしい台湾料理の形が出来たのではないでしょうか。
芳澤謙吉翁も、なつかしい、慣れ親しんだ味の料理として、おいしくいただいていたことでしょう。

台北市の食堂で、芳澤謙吉さんが食事をされている、そんな様子が目に浮かぶようです。
こんな台湾料理献立の偉人給食を通して、市内の小学生の皆さんは 郷土の偉人 芳澤謙吉翁 に親しみを持ったことと思います。