太平洋戦争への準備
※ 1937年(昭和12)7月7日 盧溝橋事件、支那事変に拡大
◇ 蘭印交渉にあたる-蘭印全権特派
- 1940(昭和15)年11月 松岡洋右外相の懇請で蘭印経済交渉にあたる。全権でジャワ島スラバヤへ。大東亜共栄圏構築のための多数の物資の確保、中でも石油の確保、採掘権の獲得を目指した。ファン・スタルケンボルグ総督と交渉、1941(昭和16)年6月交渉が妥結した。
◇ 仏印特派大使で開戦への備え
- 太平洋戦争開戦を控え蘭印特派、仏印特派大使として赴任
左:仏印特派大使親任式(1941年9月10日)
右:仏印特派大使として赴任の途につく。(1941年10月29日)
『大東亜写真年報紀元2602年版』
社団法人同盟通信社発行 1942(昭和17)年
- 1941(昭和16)11月 ハノイ着任。宣戦布告に備えて仏印と交わした「共同防衛議定書」に基づく「軍事協定の締結」が主たる任務。12月9日朝締結。即時開戦。
◇ 新占領地(大東亜共栄圏)視察
- 1942(昭和17)年7月29日~9月6日
◇ 辞職を申し出る
- 1944(昭和19)年12月、辞職を申し出る。1945(昭和20)年1月に免官。同年5月には外交顧問に任じられる。
◇ 枢密顧問官に親任
- 同年8月には枢密顧問官に親任。14日朝の枢密顧問会議に立ちあった。