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希望燃ゆ 諏訪の里

希望燃ゆ 諏訪の里 [第31回] 24.河川改修工事を担った飯田川水害予防組合


赤い屋根と空色の下見に新築時の面影が残る水防倉庫(2015年4月)

飯田川水害予防組合では、工費204,400円、国庫補助99,000円、地元請負で、真砂堰地内相撲場に、30坪の平屋建てでスマートな小屋を新築した。赤い屋根、空色の下見、後ろに真砂堰が見えて、とても印象的だ。この家から今後の飯田川水防の成果があがる事と思う。<『公民館報諏訪村(解村記念号)』1955.1.31>

飯田川水害予防組合の成立 上流部分の河川改修の進展により、必然的に下流部で水害被害が多くなる。このため、諏訪村及び関係集落の有志の間で水防組合設立の動きが起こった。1935(昭和10)年5月、野俣盛治村長は「飯田川改修継続の請願」と「水防組合設立」に関する沿岸部落代表者会を開催した。寺田憲三助役を委員長に7人の委員を推薦、この懸案の実現に着手した。1935(昭和10)年10月には、委員が県に赴き、継続改修の陳情と水害予防組合設立について協議した。その後、直ちに組合設立についての手続きを行い、12月2日付けで新潟県知事宮脇梅吉により諏訪村長野俣盛治は水防組合設立委員の任命を受けた。総代選挙後、総代会を開催し規約及び賦課率を決定した。こうして翌年1936(昭和11)年4月4日に組合設立は認可された。5月5日に組合の議員選挙が行われ、中頸城郡最初の「法人飯田川水害予防組合」が成立した。以降は成立した組合による改修工事継続の請願と関係住民の協力体制を固めるための世論喚起が行われた。

苦難の工事継続と改修工事の終了 水害予防組合は、陳情と懇請を行うことで下流部工事を継続し、1951(昭和26)年までに飯田川全川での河川改修工事は一応の終了を見た。