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希望燃ゆ 諏訪の里

希望燃ゆ 諏訪の里 [第32回] 25. 諏訪地区の成立…分村合併の経過…

1. 分村へ

事 項

1953

9

12

・「町村合併促進法」施行に伴い、郡町村会議に「町村合併特別委員会」設置

11

24

・町村議長会が設置した「町村合併研究会」と上記委員会を一本化

1954

2

1

・新聞紙上で県の要請による地方事務所試案報道。試案は「一市三町八村案」(「諏訪・津有で1ブロック案」が示された。)

2

23

・町村合併審議委員会を設置。町村合併特別委員会、町村合併研究会が平行して協議、3月上旬立案、県審議会で審議ののち各組織で審議し促進実現を図る。

3

10

・諏訪村議会で町村合併研究組織を協議。階層別の組織ごとに十分検討することを確認

2. 分損決議

1954

3

15

・直江津町柳沢議長他2人が来村、直江津町への合併を非公式に打診・要請

19

・村議会で、諏訪村教育委員会が村議会に合同協議を行うことを申し入れた。「中学校問題」、「町村合併村議会研究会」のことなどを協議

20

・有田村村長、直江津町議会事務局長が来村

23

・定例の郡町村会で地方事務所説明。県審議会の2市13町村(15ブロック)案について「町村合併特別委員会」、「町村合併研究会」で審議ののち郡審議会で審議し、結果を県に答申する。

24

・中学校建設促進有志大会が上千原校で行われた。

27

・諏訪村議会町村合併研究協議会で村の方針を先行協議することを確認する。

28

・川澄直江津町長、柳沢議長が来庁し、人口条件5万人を達成し「市制」を実現するため諏訪村の直江津町への合併を要請する。

30

・29日開催の郡審議会での「諏訪村は直江津外四カ村ブロック」案が新聞紙上で発表される。

4

3

・地方事務所主催、郡審議会案関係の有田・八千浦・諏訪・保倉村長・課長協議会で各村が状況説明。諏訪村は「これからの研究による」とのみ報告する。

6

・村議会研究協議会が行われ「分村研究はできない。全村一本に努力」「直江津町の申し入れの合併も地勢から困難」「南部・北部地区の住民の意向を確認」などが話し合われた。

8

・直江津町議会議長、助役、係員来庁。直江津町との合併の早期成立を懇請される。

・同日午後、村議・部落主任合同町村合併指導会が行われ、地方事務所総務課長、主事が参加して直江津町との合併の件について、「合併に乗り遅れないこと」「津有村は諏訪村との合併に反対のようだ」「直江津を主にしながらも、村民の率直な気持ちを調査して欲しい」などが示された。

11

・村議・部落主任合併促進委員会が行われ、部落世論調査結果が報告される。
「直江津反対部落7、直江津賛成6、結論に至らず4、大勢順応1」 合併条件について、直江津賛成の横曽根より、岡田線のバス開通、各部落への電話設置などが提起される。直江津以外の具体的な名は出なかった。

 

 

12

・直江津町議会事務局長、議員1人来庁し、新潟県自治課長が諏訪村を訪問することを告げる。直江津町より公文書で町村合併事務指導会の案内がある。

13

・午前、新潟県自治課長、地方事務所総務課長、川澄直江津町長が来村し、村長・議長・副議長・助役などに直江津新市達成について懇請される。全村合併後に、希望部落の高田市編入の安全性と県の斡旋について、村境を明確化しておく必要があるなど分村についての示唆が示される。村境が不明では、直江津市は成立しない。直江津市が成立できない場合、関係町村に及ぼす悪影響、諏訪村の将来の町村合併で当面すると思われる諸問題が示される。分村についても説明がある。南部の有志が、高田市に合併の可能性を打診に行く。

14

・新潟県自治課長、係長、地方事務所主事が来村、諏訪村の方針決定を要請
・午後1時村議会協議会が開催されるが、午後9時に緊急村議会開催を申し合わせて解散。午後10時、大雨の中、全ての村議が集合。北地区20~30人、南地区0人で傍聴者が動員される。午後11時半、本議会前の協議会を開催。村の混乱を避け、直江津市の成立を妨げないため小学校最寄り区域で分村の見通しとなり、県主事の手で議案が作成される。
午後11時55分、本会議が開かれる。全会一致で「分村」が議決された。

15

・直江津町助役他、「分村決議」に対しての挨拶に来村する。

3. 分村、高田市に合併・・・「諏訪地区」の成立

1954

4

16

・残村議員協議会で、今後の方針について協議、「将来、高田市に合併」の方針を確認。早速、村長が高田市に公式に合併の申入れを行うことに決定。
・午後、村長は津有村長と懇談し、「南部の11カ字は高田市に合併の希望がある」旨を伝え、了解を求める。

17

・午前9時、小熊村長が、関高田市長、倉石助役、斎藤渉外委員長に対し「将来津有村が高田市に合併の際に、諏訪村南部11カ部落が高田市に合併したい」という希望があることを伝え、その実現に関し善処するように要請する。

18

・高田市議会植木・横田氏、正副渉外委員長が来村。諏訪村村長・議長に「諏訪村の申入れについての高田市議会全員協議会での協議結果「今回、直江津町に合併しなかった地域を将来高田市に合併する」ことが報告された。

23

・残村議員協議会で、高田市の回答について確認、今後の方針を協議する。

27

・分村事務について村長が庁内訓示を行う。

5

14

・村議会開催。14/16人の出席。議題「新町村建設計画議定の件」
・本会議後の協議会で、資産分割の方法等について研究協議し、資料を全員で確認後に折衝することで一致する。

15

・中部最寄り村長、助役協議会が津有村役場で開催。津有・諏訪・三郷・高士・菅原・櫛池・上杉・美守・里五の9カ村が出席。町村合併指導と説明が行われる。純農村による新町村の成立が望ましいが、極めて困難なこと、首長の良識と指導の強化が必要なことが示された。

28

・塚田自治庁長官より「分村合併について敬意を表する」旨の電報がある。

1954

 

31

・村議会開催。議題「村の一部区域の直江津市への編入に伴う財産処分の件」
・夕刻より現物配分作業。終了後、分村区域居住の小林助役以下、吏員8人の退職者に直江津市に送る「別辞」を交付する。

 

6

1

直江津市制施行

4

・分村後の第1回村議会開催

15

・分村に伴う事務引き継ぎ。財産処分協定書作成。直江津市長川澄農治、諏訪村長小熊辰治が調印する。

20

・直江津市北諏訪支所開所式

7

8

・高田市が諏訪村に対する第2次合併説明会開催。村長、議員等が参加

16

・村議会議員欠員5人当選、農業委員会委員選挙

31

・地方自治法の一部改正で、人口条件の施行期日が変更される。

9

4

・臨時村議会を開催、中学校校舎建設事業起債(延べ199坪)等を協議

24

・合併決議打ち合せのため、関市長、副議長等4人が来村し村長・議員と懇談

27

・高田市へ合併希望条件、要望事項を提出。同日、合併条件について回答書を受領する。青年会二分を決定、婦人会お別れ会開催

28

・臨時村議会で中学校校舎建築請負契約と経過、廃村による財産処分等協議

29

・諏訪中学校校舎地鎮祭

30

・関市長等来村し、29日に高田市が市村合併の決議を行ったことを報告する。
 高田市との合併が確定された。

10

12

・高田市第二次合併実施に関する協議会。関市長、関係5カ村長が出席。合併実施期日を、1955(昭和30)年2月1日に決定する。
・以降、合併後の方針協議等の打ち合わせが11月上旬にかけて行われる。

11

2

・臨時村議会 昭和28年度決算認定、収入役選任の同意等を行う。
・協議会で、学校敷地拡張土地買収交渉の経過と見通しの報告、校舎建設費補助起債等を協議する。

12

21

・諏訪中学校新築落成式(設計及び工事監督者;吉井貫二、施工;星野組、総坪数199坪、総経費;567万3千円)

22

・高田市第2次市町村合併5カ年計画打合せ会で高田市案について協議する。

26

・村議会定例会開催。新市建設計画議決、高田市の市域変更による教育委員会委員の任期・定数の変更議決をする。

1955

1

6

・合併五カ村長打合せ会。合併後の問題並びに解村式の計画打合せを行う。

14

・合併五カ村長打合せ会。解村式の期日、内容等の打ち合わせ。最寄9カ村村長会の解散を決定する。

18

・合併五カ村長会。年度末まで全ての職員を支所に置くことを了解される。

19

・最終区長会報告  (20日関高田市長逝去、1月26日に市葬が行われる)

22

・春日村が解村式を行う。

23

・学校敷地拡張、土地買収最終交渉会が行われ、村長、議長、村会交渉委員、土地関係者が出席する。協議事項が決定する。(拡張面積6反余、内苗代3反余)

26

・村議会開催。昭和29年度歳入歳出追加予算、学校敷地及び役場兼公民館敷地及び村道路敷地買収、消防団設置条例の改正などを議決する。(31日に継続)

1

28,29

・津有村解村式(28)、三郷村解村式(29)

30

諏訪村解村式を午後1時より、上真砂小学校で行う。

31

・村議会再開。分村による29年度更生予算を議決し、諏訪村議会を解散する。
 諏訪村は解村し、2月1日をもって高田市に合併、高田市諏訪地区となる。

町村合併促進法施行 太平洋戦争後の改革で、新制中学校の設置管理、市町村消防、自治体警察の創設、社会福祉、保健衛生関係などの多くが新たに市町村の事務とされた。このための財政確保のためには、市町村規模の拡大が必要となった。このため、1953年(昭和28)年に「町村合併促進法」が施行された。さらに、「町村数を約3分の1に減少することを目途」とする「町村合併促進基本計画(昭28年10月30日閣議決定)」の達成のため、1956年(昭和31)年に「新市町村建設促進法」が施行、全国的に市町村合併が推進された。

市制を目指す直江津町からの要請・・・分村へ 諏訪村もこの情勢の中に組み込まれることになる。1954(昭和29)年3月早々、直江津町が市制施行を目指して、周辺の村々、特に諏訪村に強く合併を要望してきた。4月8日午後の「村議・部落主任合同町村合併指導会」で、県の地方事務所総務課長、主事は町村合併一般指導の中で、直江津町との合併に触れ、「乗り遅れないこと、乗り遅れると(合併の)相手がいなくなる場合があること、純農村の合併が望ましいが津有村は諏訪村との合併は絶対反対のようだ、高田市もこれ以上多くは希望していないようだ」と話し、直江津町との合併を示唆している。このことで、静観をしていた諏訪村行政も対応を迫られることになる。村は、村民の意思を再三にわたって確認、意思決定を模索した。合併手続きの期限が迫る中、「大字の意思」という形で村民の意向を集約した。その結果は、北部の八つの大字は直江津町との合併に賛成、南部東部の大字は反対と意向は二分された結果となった。この結果を受けて「南部地区有志会」は、上真砂校通学区域は一致して進むことを確認、直江津町との合併は反対という申し入れを正規に行う。
北部の8大字は、1954年6月1日に直江津市と合併した。

諏訪村の解村と諏訪地区の誕生 南部地区有志会はその後、促進協議会として分村後の諸般の事情について村行政と連絡・協議にあたり、高田市との合併を促進した。促進協議会は、高田市との合併を控えた1955(昭和30)年1月30日、上真砂小学校で解村式を行った。こうして、1955(昭和30)年2月1日、諏訪村は「高田市諏訪地区」となった。1889(明治22)年の「市制・町村制」の施行で成立した「諏訪村」は、66年の使命を終えた。

合併を祝う旗行列(諏訪小学校)

※ 引用・参考
・『公民館報告 すわむら』第16号(1955.1.31)、『高田市史 第3巻』p.66上越市(1980.6.20)