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希望燃ゆ 諏訪の里

希望燃ゆ 諏訪の里 [第10回] 8.指出明細帳にみるムラの様子・・・1798(寛政10)年「北新保村指出明細帳」(川室家文書)・・・

1780年代の後半、老中松平定信による寛政の改革が行われる中、外国船の渡来、これに対応しての沿岸諸藩の厳重警備の推進、蝦夷地の直轄、伊能忠敬の測量の促進などが行われた時代、地方の農村社会はどんなようすだったのか、「北新保村指出明細帳」をもとに探ってみる。(※「指出明細帳」「差出明細帳」は混在して使われているが、北新保村は「指出明細帳」となっている。)


寛政10年村明細帳によれば、北新保村の戸口は、家数20軒、総人数113人(男48人、女63人、禅門2人)、女馬6疋となっている。また、1683(天和3)年の天和検地をもとに、田畑等の面積と石高は次のようである。

米作の状況、小作米等、諸作物、諸給米は次のようであった。
【米作の状況】
・苗代籾  上田1反につき、籾1斗4升
・雑草   早稲 下早稲  2分通り作り申し候
      中稲 能登白  3分通り作り申し候
      晩稲 安田   5分通り作り申し候
・稲取実  上田 1反につき80束ほど。但し1束に籾2升ほど
      中田 1反につき70束ほど。但し1束に籾1升7合ほど
      下田 1反につき65束ほど。但し1束に籾1升5合ほど

【小作米等】
・小作掟米 上田 1反につき 米7斗    上畑 1反につき 米3升
      中田 1反につき 米6斗5升  中畑 1反につき 米2升5升
      下田 1反につき 米6斗
・田畑質地 上田 1反につき 5年季金2両ほど
      中田 1反につき 金1両2分
      下田 1反につき 金1両

【諸作物】
・大麦 畑の内20分の1作り申し候、平均1反に2、3斗
・小麦 畑の内2分通り作り申し候、平均1反に2斗~2斗5升
・大豆 畑の内5分通り作り申し候、平均1反に4斗~4斗5升
・稗  畑の内2分1通り作り申し候、平均1反に1石2斗3升 
・小豆、粟、胡麻、木綿、苧(お)、紅花…少々ずつ作り申し候、百姓自分遣いほど。
・茄子、大角豆(ささげ)、大根菜、からし瓜(からす瓜?)…自分惣菜用にて他所へ売り出すほど取らない。

【諸給米】(しょきゅうまい) 給米=江戸時代に給与として支給される米をいう。
・米3石…庄屋給米             ・米7斗2合8勺…惣代米
・米1斗5升5合…上真砂江代          ・米5斗…組頭給米
・米7斗7升4合…郷蔵地子番給米      ・米7斗6合2勺…大小堰守給
・米5升3合5勺…角川八寸樋守給米      ・米5升4合9勺…江代
   計 5石9斗4升6合4勺

【郷蔵】
 長5間  横2間半  (12.5坪)

※「郷蔵」は、江戸時代の農村におかれた公共の貯穀倉庫をいう。本来は年貢米の一時的保管倉庫であったが,中期以降は,凶作飢饉にそなえる備荒貯穀物用として利用,のちには貸出しも行われた。北新保村の郷蔵の建物は村有だったと思われる。敷地は免税地となっていた。

上記から村の生活は、米作りを中心に、麦や大豆、その他の雑穀、野菜を自家用または多少を売り物にしたものがおよその収入であった。また、給米からは庄屋や惣代への手当のほかに郷蔵、堰守への手当を村として負担している。この頃には、中江用水が開削され、角川の両樋堰で正野森樋と合わせての加え八寸樋から取水した用水を飯田川に落水し、真砂堰用水に加水していたことが分かる。 
北新保村固有の部分を除き、地区内の各村々の様子も多少の違いはあっても、大きな相違はなかったのではなかろうか。

※引用・参考 
・2007(平成19)年9月8日に行われた上越市公民館高田地区館諏訪地域づくり講座での清水万蔵「江戸時代を中心とした諏訪について」講演資料により作成 

参考;「長岡村平野家」で栽培された稲の品種(『上越市史 通史編3 近世1』p.89)