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諏訪の里ブログ

「深堀!下割遺跡〜上越三和道路の遺跡発掘調査を踏まえて〜」講座開催

高田平野のほぼ中央に位置する「下割遺跡」発掘調査は今年で11回目となり、上越三和道路の発掘調査成果も上がってきています。
今回、諏訪地区公民館では上越の他地域の遺跡を学び、地元の遺跡と比較しながら古代における上越地域の特性に触れ、上越・諏訪区の魅力を共有することを目的にして講座を計画し、2回に分けて開催しました。

第1回は、9月27日(水)上越市埋蔵文化財センターと釜蓋遺跡ガイダンスでの現地学習です。
初めは、上越市の埋蔵文化財センターの見学。
旧石器時代から縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安とそれぞれの時代の遺跡の展示品を見ながら、文化行政課の職員の方から説明を受けました。
調査室には、遺跡の出土品が入っている箱が9千箱あり、今いっぱいになっているとのこと。
新潟県内で、上越市が一番遺跡数が多く1579ヶ所あるとのことでした。
上越市は、様々な土器や須恵器などが出土し、昔から米作りも盛んに行われており、また越後国府もおかれ栄えていたことが伝わってきました。

その後、釜蓋遺跡ガイダンスに移動し「国指定史跡・斐太遺跡群」の遺跡について展示品などを見ながら説明を受けました。
斐太遺跡群とは、3つの遺跡の総称で、1つ目は青田川の扇状地の端にある、今から約2200年前に糸魚川産のヒスイなどを使って勾玉などの玉作りを行っていた集落の吹上遺跡。
2つ目はまた妙高市の岡野上にある今から1900年前の集落の斐太遺跡。
3つ目は、青田川の扇状地の端にある、今から1800年前の環濠集落の釜蓋遺跡です。
弥生時代の終わりから古墳時代の初めの頃の人々の生活の様子も想像できました。将来、当時の様子を映像化し見ることができるようになるといいと講師の方がお話をされていました。
実際にそのような技術が開発されると、より歴史についての興味関心が高まると思いました。

参加者の方からは、「埋蔵文化財センター、釜蓋遺跡ガイダンスをめぐり、古代の人々の生活に少し触れることができた。とても楽しかった。」
「太古のロマンをめぐることができた有意義な旅でした。近い将来、デジタル技術を使って昔の様子の再現に期待している。」との声が聞かれました。

第2回は、10月8日(日)諏訪地区公民館にて、新潟県埋蔵文化財センターの専門調査員・山崎先生から「上越三和道路の遺跡発掘調査に関わるお話」をして頂きました。
内容は、上越三和道路関係の遺跡調査から12の遺跡が発見されたこと。
その遺跡は、縄文時代から江戸時代までの広範囲の時代に関わっていること。
古代における上越地域の特性として、飛鳥時代から奈良時代にかけて上越は建物が多く、人口も多かったことから米作りも盛んで経済力が高かったので越後国府がおかれたのではないかということ。
奈良時代や平安時代には、諏訪区や津有区において役所の仕事を担っていたこと。飯田川の氾濫による洪水に見舞われた後は、水田や畑のなど土地利用されていたこと等です。

その後、グループに分かれ、感想や上越・諏訪区の魅力について話し合いました。
印象深かったこととして「国のしくみの移り変わりの中に地域の遺跡発掘の成果を位置付けていただき、地域の遺跡の価値を再発見できた。」
「下割遺跡から縄文時代の遺跡も出てきていて、古くから人々が生活していたことがわかり、役所など今の社会の基ができていたことに驚いた。」との声がありました。

また、上越・諏訪区の魅力として「発掘された物から古代、多くの人が住居し役所の仕事の一部も担っていた地域であったことが分かったとのこと。古代も活力のあった地域であったこと魅力発見だった。」
「災害が少ない。だからこそ人が集まってきたのかな?」などとの意見も出ました。
遺跡講座を通して、上越・諏訪区の魅力を見直すことができた講座となりました。

今回の講座では、出土品の展示がされ、それを直接触らせて頂くこともできました。

今回の講座の前、9月23日に行われた下割遺跡現地見学会(上越市北田中)では、調査現場で、地下4mのところに縄文時代後期の遺跡竪穴式住居のものとみられる「石囲炉」の跡が見つかっています。
縄文人が平野部でも暮らしていた可能性が高まってきた貴重な発見ということでした。